2011年05月15日

Vol.107「東日本大震災・その1]

3カ月ぶりのニュースレターになってしまいました…。3月11日の大震災以来、多くのことがあり、ニュースレターを書く余裕がありませんでした。みなさんにとっても大変な震災であったことでしょう。心からお見舞い申し上げます。

 3月11日の大地震のあったとき、私自身はスタッフの佐藤とともに親知らずの抜歯を行う寸前でした。幸いメスを持つ直前の地震でしたので、患者さんを傷つけることはなかったのですが、本当に大きく、そして長い地震でしたね…。地震直後から停電となり、患者さんにもそのままお帰りいただきました。診療室はモノが散乱しましたが、スタッフルームの食器棚が倒れたくらいで、さほどの問題は起きませんでした。スタッフも後片付けの後、4時には帰宅してもらいました。自宅は父の大きなスピーカーが倒れたり、娘のタンスが倒れたりと、上の階に行くに従い揺れが大きかったことを物語っていました。

 1978年の宮城県沖地震の時、私は中学校3年生でしたが、その夜も停電となりろうそくの火をともしながら家族で夕食を食べたことを覚えていたので、今回の震災後の停電も1日くらいで復帰するだろうくらいに考えていました。情報はラジオからだけでしたが、若林区で200~300人の遺体が発見されたとのニュースを聞き、今回の地震の余波がすさまじいことを知りました。雪も降った11日でしたが、本当に寒い日でした。暖房はすべてエアコンなので、布団にくるまって夜を明かしたことを覚えております。

 翌日の12日、停電が続いていましたので診療は休診、食料の買い出しに行きましたが、営業しているお店は少なく、空いているお店には長蛇の列ができていました。夕方関西の友人2名から安否確認の電話があり、沿岸部は大変なことになっていることを再確認させられました。この日も暖を取れず夜8時には布団にもぐりこみましたが、幸い夜10時に電気と水道が復旧しました。すぐざまTVを見て津波に街が飲みこまれる映像を見て愕然としました…ラジオで聞いていたとはいえ、信じられない光景が広がっていました。1日ケータイの充電ができずにいたので、充電をしながら沿岸部に住んでいる友人に電話メールをしましたが、もちろんつながることはなく、不安が高まる一方でした。
posted by 副院長 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | '11ニュースレター
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